谷口鹿島神社について
鹿島神社は創建当時には鹿島大明神と称し四百年以上前よりこの地にあり 現在地には二百二十年ほど前に遷し奉られました
地域の皆様とともに
相模原市谷口地域で、古くから地域住民の皆様で大切に守っていただいてきた神社です
現在、神主は常駐しておりませんが谷口地域を構成する7つの地区から それぞれ選ばれた7人の総代と21人の世話人が奥様方もまじえ、 お正月や節分、七五三など、各種行事を執り行っております
九月の例大祭では鹿島睦、囃子連の皆さん、地域の皆さまと共に、 神輿巡行を含め地域全体で多くの人々にご参加、ご協力をいただいております
御祈願、お祓いを通して皆様の安寧をお祈りすることはもちろん、 総代、世話人など、地域一同が集い協力することで、新たなお付き合いが始まり、 地域の絆がさらに深まることを願いながら、これからも皆様とともに かけがえのない神社であり続けたいと願っております
御祭神 武甕槌命 たけみかづちのかみ
鹿島神社の御祭神である武甕槌命(建御雷神とも)は、雷神であり剣の神ともされ、 又、記紀神話においては、出雲国譲りの際に大国主側の武御名方神(タケミナカタ)と力比べをして、 圧倒的な強さで国譲りを決定させた神。その力比べは相撲の起源ともされている
由緒沿革
創建はよく判らないが、隣接している青柳寺の開基である澁谷越後守義重が谷口村に居住し、 文禄三(一五九四)年に『谷口村総鎮守鹿島大明神』より分霊を我が屋敷内に遷し奉り守護神としたとあることから、 その年以前より鹿島大明神のあった事は確かである
新編相模国風土記稿によると、隣村の鵜野森・森野(町田)と約三百米離れた所に各々鹿島神社があった為、 土地の人々は三鹿島と称したと云う
正徳元(一七一一)年に社殿を建て直したが、社殿のあった所は谷口村の北辺で高座川(現在の境川)に近い 下森の地にあり、参詣も意にまかせぬ事がおおく、享和元(一八〇一)年に現在地に遷し奉った